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311をたどる旅 ~大川地区~ - 2016.03.15 Tue
自分たちの子供と同じ年頃の子供たちに起きた、自分と同世代の親に起きた、石巻市立大川小学校の悲しい出来事は、震災以来ずっと心に引っかかっていて、あまりにも自分の中でも大きな出来事であったため、この東北訪問でも訪ねるべきか、訪ねるべきではないのか迷いました。それでも子供たちにお参りをしたくて、大川小に寄りました。最初の訪問ではお線香やお花を忘れてしまったので、結果的に、旅行の間に大川小には2度訪問しました。
偶然が結んだ導きで、2度目の大川小訪問では、当時6年生の娘さんを失った佐藤敏郎さんに出会うことができました。佐藤さんに会い、今まで私たちは大川小で起きたことは知っていたものの、何が起きていたかを知らなかったことを思い知ることになりました。
佐藤さんは「小さな命の意味を考える会」の代表として、つらい経験を積極的に周囲に伝え、未来への教訓として共有しています。この日も、東京から来たお知り合いを案内するために大川小に来たそうです。私たちは、ご厚意に甘え、その案内に同行させてもらい、小さな命の意味を考える会の編纂した冊子をいただき、多くの出来事や思いを知ることができました。

うみは自身も福島県二本松市の安達太良小学校で被災しています。今の自分と、同い年の女の子を失った父親の哀切の気持ちを聞き、何を受け止めて、何を考えたのでしょうか。
大川小の悲劇では、避難するための時間がなかったわけではないこと、助かる手段をほぼ全員が知っていたこと、大津波警報は全員に伝わっていたこと、教師がついていながら学校は子供を守るための組織的判断ができなかったことなどがあります。
現場のロケーションを見て、心に突き刺さるのは、ほんの数十メートルの移動で救われた命がたくさんあったはずということでした。このうみが立っている位置のもうほんの少し上に上がれば、命は助かったのです。他人の私たちの心にも突き刺さってくるのですから、遺族には尚更やりきれない思いが数多くあると思います。本当に運よく助かった児童にしても、出来事を調査していく過程で行った証言の記録がなくなるなど、大人を信頼できなくなるような深い傷を心に負うような対応があったようです。
子供を失った親御さんの深い悲しみや葛藤は察するにあまりあり、そして同じ経験を通じ、異なる意見を持つようになることは容易に想像できます。佐藤さんのように子供たちのお参りに大勢の人が来るのはありがたいと感じる気持ちがある一方で、観光地のように多くの人が訪れることを快く思わない気持ちを抱く方々もいて、当然ながらそのどちらが正しいということはなく、しかしながら異なる意見を持っていたとしても、目標とすべきなのは遺族心の救済であり、それが子供たちの命に真の意味を与えるのだと思いました。
あの日、あの時に戻れたならばと痛切に願う現場で、私たちにできたのは、子供たちの魂の安息と、遺族や関わるすべての人の心の復興が果たされますように、と祈ることだけでした。
大切な人の命を守る、ということを目的に、
「スマートサイバープロジェクト」というプロジェクトが展開されています。
大川小を訪問することに決めたとき、私たちにはただ慰霊の気持ちだけがありました。
しかし訪問した私たちが得たものは、学びであり、命の重さに思いを馳せるということでした。
教訓を活かすということが、失った命に意味を与え、命ををつなぐことになることを信じて、未来のために学び伝えていきたいと心から思いました。

偶然が結んだ導きで、2度目の大川小訪問では、当時6年生の娘さんを失った佐藤敏郎さんに出会うことができました。佐藤さんに会い、今まで私たちは大川小で起きたことは知っていたものの、何が起きていたかを知らなかったことを思い知ることになりました。
佐藤さんは「小さな命の意味を考える会」の代表として、つらい経験を積極的に周囲に伝え、未来への教訓として共有しています。この日も、東京から来たお知り合いを案内するために大川小に来たそうです。私たちは、ご厚意に甘え、その案内に同行させてもらい、小さな命の意味を考える会の編纂した冊子をいただき、多くの出来事や思いを知ることができました。

うみは自身も福島県二本松市の安達太良小学校で被災しています。今の自分と、同い年の女の子を失った父親の哀切の気持ちを聞き、何を受け止めて、何を考えたのでしょうか。
大川小の悲劇では、避難するための時間がなかったわけではないこと、助かる手段をほぼ全員が知っていたこと、大津波警報は全員に伝わっていたこと、教師がついていながら学校は子供を守るための組織的判断ができなかったことなどがあります。
現場のロケーションを見て、心に突き刺さるのは、ほんの数十メートルの移動で救われた命がたくさんあったはずということでした。このうみが立っている位置のもうほんの少し上に上がれば、命は助かったのです。他人の私たちの心にも突き刺さってくるのですから、遺族には尚更やりきれない思いが数多くあると思います。本当に運よく助かった児童にしても、出来事を調査していく過程で行った証言の記録がなくなるなど、大人を信頼できなくなるような深い傷を心に負うような対応があったようです。
子供を失った親御さんの深い悲しみや葛藤は察するにあまりあり、そして同じ経験を通じ、異なる意見を持つようになることは容易に想像できます。佐藤さんのように子供たちのお参りに大勢の人が来るのはありがたいと感じる気持ちがある一方で、観光地のように多くの人が訪れることを快く思わない気持ちを抱く方々もいて、当然ながらそのどちらが正しいということはなく、しかしながら異なる意見を持っていたとしても、目標とすべきなのは遺族心の救済であり、それが子供たちの命に真の意味を与えるのだと思いました。
あの日、あの時に戻れたならばと痛切に願う現場で、私たちにできたのは、子供たちの魂の安息と、遺族や関わるすべての人の心の復興が果たされますように、と祈ることだけでした。
大切な人の命を守る、ということを目的に、
「スマートサイバープロジェクト」というプロジェクトが展開されています。
大川小を訪問することに決めたとき、私たちにはただ慰霊の気持ちだけがありました。
しかし訪問した私たちが得たものは、学びであり、命の重さに思いを馳せるということでした。
教訓を活かすということが、失った命に意味を与え、命ををつなぐことになることを信じて、未来のために学び伝えていきたいと心から思いました。

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● COMMENT ●
教訓って生きているかなぁ。。。
東京圏に限って言うと、どんどん意識が
薄れているように思います。当時言われて
いたこと、皆が今後考えていかねば、記憶
していかねばと思っていたことが、
早くも薄れて来ていると思います。
結局、以前と変わらない構えで生活してます。
震災直後は今後売れなくなると言われた
シーサイドの高層マンションが次々に開発され
また同じようなことがあり得るのにあちこち
で原発は再可動。
大規模津波の防波堤なんて話も消えてます。
人間、忘れるの早いんですよね。
東京圏に限って言うと、どんどん意識が
薄れているように思います。当時言われて
いたこと、皆が今後考えていかねば、記憶
していかねばと思っていたことが、
早くも薄れて来ていると思います。
結局、以前と変わらない構えで生活してます。
震災直後は今後売れなくなると言われた
シーサイドの高層マンションが次々に開発され
また同じようなことがあり得るのにあちこち
で原発は再可動。
大規模津波の防波堤なんて話も消えてます。
人間、忘れるの早いんですよね。
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システムには、すくなくとも建設的な形では組み込まれていないように感じます。
計画停電、ほの暗い街は人を謙虚にさせる部分があって、
個人的には悪くないと感じていましたけれど。
あっというまに都市部はぎらぎらの街になりましたね。
忘れるから前に進める部分があるのは否定しませんが、
このままでいいことはないような気がしています。