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311をたどる旅 ~福島~ - 2016.03.11 Fri

2011年3月11日、本来であれば私たちはエジプトのカイロで過ごしていたはずでした。しかし、「アラブの春」の影響による体制崩壊のあおりを受け、日本に退避一時帰国をしました。人生の中で、一つの国の体制崩壊に立ち会うということは、それだけでもあまりない経験だと思いますが、やむを得ぬ事情と偶然から、退避先に福島県二本松市を選び、東日本大震災でも被災することになったのでした。

エジプトからの退避に際して、いつまで日本にいられるかは全く分からない、自分たちにはコントロールしようがない状況でした。すべてはエジプト国内の情勢次第で、所属する組織からの説明では、帰国に関しては目途は立っておらず、場合によってはもう2度と戻れないケースもありうるということでした。

退避するのはいいのですが、子供は学校教育を受ける必要があり、先の見通しが立たないという立場が困難な状況を作り出していました。いずれ移住を計画していた原村の教育委員会に転入の相談をしてみたけれど、住民票があれば制度上受け入れなければならないが、受け入れ態勢があるわけではなく、やや面倒そうに対応されたのでやめておこうと思いました。

そこで、以前住んでいた二本松市岳温泉のおじさんに相談したところ、小学校の校長先生に掛け合ってもらい、受け入れてもらえることになりました。いつもそうなのですが、人とのつながりが私たちを救ってくれました。

たまたま以前借りていた一軒家も空いていて、概ね家財も付いているということで、直ぐに車で岳温泉に向かいました。素晴らしい学びの環境があり、先生、クラスメイトに恵まれ、ようやく生活が安定してきた時にあの地震が起きました。被災したときのことは、以前記事にしましたが、ライフラインも交通網もズタズタになった状態の福島から、車のガソリンは途中給油が必要な状態で、運よく途中でガソリンが手に入ったことで取手に移動することができました。取手から空港に行くのも大変でしたが、震災直前にエジプトに戻っていたイッシーを追って、2か月足らずの間に、とても厳しく、大変な移動を繰り返し、なんとかエジプトに帰国したのでした。

あれから4年以上が経ちました。

我が家はモンゴルから本帰国したこともあり、2015年9月19日から22日の期間で東北旅行に出かけました。みほや子供たちにとっては震災時の避難後、初めて東北に足を踏み入れることになります。偶然、嵐の東北復興応援ライブと重なってしまったこともあり、仙台近郊の宿はどこも満室になっており、宿探しには難儀しましたが、またそのことで新たな出会いに恵まれる旅になりました。

20160311-1.jpg
写真は、旅行に出発する前に、経路の線量を調査するために調べたときにHP上で公開されてい情報です。どうやら線量は落ち着いた状態にあるとHPの情報から判断し、この旅では、常磐自動車道や国道6号線を使い太平洋沿いを北上することにしました。

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四倉PAの先は線量が高い地域が続くので、ここでトイレ休憩を取ることにしました。

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線量に関しては、事前情報とは大きく異なり、常磐自動車道のライブモニターによると、最大で4.5マイクロシーベルトという地域があり、全く想像していなかったひどい数値でした。

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そして原発に近い福島の町は、テレビでよく報道されている復興の様子とは程遠い、住民が帰還することもかなわない、あの日から時間が止まったままの状態が今も続いていました。どれほどの苦痛を住民たちが感じているのか、想像するしかありませんが、やりきれない怒りや悲しみがあることでしょう。

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すれ違う車は各県警から応援で入ってきているパトカーや復興工事に関わる車がほとんどでした。

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この電光掲示板がある近隣の市や町では、避難解除により、住民の帰還事業が推進されていると聞いていますが、日によっては隣接地でこのような線量を示すような今の状況で、どれほどの親が安心して子供を伴って故郷に帰ることができるのでしょうか。

帰還事情の活発化に伴い、避難者への支援は打ち切られる方向性だとも聞いています。大きな仕組みの中で厳しい生活を強いられている普通の人々がこれ以上傷つかないような施策が必要で、除染作業を鋭意進めているのでしょうが、まだまだ足りないというような印象を受けました。

20160311-9.jpg
この旅行の最後に、お世話になった福島県二本松市岳温泉に、そして安達太良小学校に寄ることができました。二本松市は、原発事故が深刻化した後、浪江町の人たちが沢山避難してきました。私たちが借りていた一軒家には、私たちが避難した翌日から浪江町から避難してきた人がしばらくは住んでいたということでした。

あの日、お世話になった先生は出発直前に通知表を渡しにきてくれたのですが、仲良くしてくれた子たちにはろくに挨拶もできずに別れることになってしまったのが心残りでした。今回も、残念なことに会うことはできませんでしたが、皆元気ということで安心しました。




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● COMMENT ●

2011年は本当にすごい年だったと思います。
東北以外の土地にいると、震災についてなにか実感することはほとんどありませんね。

二本松のお酒は大七以外もいいお酒があるので機会があれば試してみてください。
人気酒造、大内酒造、奥の松酒造などなどあって、檜物屋酒造店の千功成は特にお勧めです。

いろいろと大変なことがありましたね。
でもあの地震の直後に言われたことなど
今の忙しい社会は忘れかけているのを
よく感じます。

いろんなご縁があり、運がありますね。
無事今につばがっていることに感謝です。
(二本松市と言えば大七しか思い浮かばない私です)


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