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2017-08

手紙 - 2011.09.20 Tue

美山の里では工事がどんどん進んでいるようで、様子を写真で確認しては顔がにやけるのが抑えられない。親しくしている人に言われた、家づくりは建ててる最中が面白いというのは本当だなと実感している。

ときどき、見に行きたいなーって思うけれど、それでもこうして海外に居ながらもほとんどタイムラグなく現場を見られるというのは通信インフラが進歩したおかげだし、対応してくれているホームデザインHARATAの原田さんには感謝だ。

私たちが初めて長期間海外で暮らした1998年当時、世界の最貧国の一つでもあるマラウイでもようやくインターネットプロバイダーが2社、電話回線を使ったメールのサービスを開始したばかりだった。
森林保護区に住んでいたイッシーは家にも、近隣の村にも電話がなく、配属先の学校はちょっと特殊な無線の電話だったためインターネットができなかった。
そのため、15Kmほど離れた仲間の家に行って電話を借りるしか手段がなく、また、その電話にしてもノイズがひどくて通信が不安定なうえに信じられないくらい通信速度が遅かった。1Mのデータを取るのにじりじりパソコンの前で1時間以上待つことはざらだし、その通信が途切れないよう接続が成功するたびに祈っていたあの日々が今では懐かしい。

メールプロバイダとの接続も何度も何度もトライしてやっとつながるかつながらないかは運次第で、数か月続く雨期は通信出来ることの方がまれという状態だった。

そしてそれは街に住むみほも状況は若干良いだけで似たり寄ったりだった。みほの家には電話はあったが、こちらも無線電話で、インターネットは使えず、多くても週に1回程度、職場の電話でメールの送受信をさせてもらっていた。

そんなだから、日本の家族や世界に散らばる仲間との近況報告の主な手段は、手書きの手紙だった。手紙のやりとりでは、片道1か月かかるなんて普通だったし、中にはマラウイに宛てた手紙の字面が似ているというだけでマレーシアを経由して、マレーシアの郵便スタンプが押された状態で手元に届いたりしていた。日本への手紙の到着より、近隣国、同じアフリカ大陸の中の国の方が遅い時が多かったのは何故なのだろうか。

あのころあれだけ頻繁に書き送った手紙も今はほとんど送る機会がない。

懐古趣味かそのころの名残か、今でも手紙にはなにか特別な感情を持っている。そう、手紙の持つ間が好きなのだ。手紙を送り、その旅程に思いを馳せ、宛先に届くのを想像するのも好きだし、手紙の返事を待つでもなしに待つというような独特の感覚も好きだ。

人も技術も一か所に留まるということはなく、良くも悪くも常に変わり続ける。

今の仕事では技術が更新されるたびにどんどん忙しくなり、働いている私たちは余裕をなくしているように感じる。業務効率化で得する人たちが確実にいるからこその技術革新なのだろうけれど、少なくとも働く人が余裕を持つための効率化という部分はほとんど考慮されていないようだ。

国民の大半が極貧生活を送るマラウイ、しかし、あそこには明らかに私たちが捨ててはいけなかったもの、家族・地域の絆、生きる工夫、人が優しく生きられる生活のペース配分みたいなものがあり、様々な気づきを私たちにも与えてくれた。

すべてが変わってゆく中で、私たちだけが選択的に今や昔に留まれるわけでない。だから、私たちに、特に子供たちにとって大切なものはなにかを見極め、技術を現在の利益のためでなく、未来を見据えた選択ために選んで使う工夫がこれからの生活の中で出来ればいいと思う。


森の家 - 2013.02.14 Thu

その国は大きなアフリカ大陸の中ではあまりに小さく、目立った資源もないことから、当時も世界最貧国の一つとして世界から忘れ去られたような存在で、時代に取り残されたかのような人々の暮らしもあり、本当のアフリカの姿が残った国だった。

もうかれこれ15年ほど前、私たちはその国で初めて海外で暮らし、仕事をしていたのである。

「アフリカの温かい心」と言われるマラウイ共和国はモザンビーク、ザンビア、タンザニアに囲まれた内陸国で、1963年にローデシア・ニヤサランド連邦が解体され、イギリスの保護領となったニヤサランドがイギリス連邦の加盟国として独立した時にできた国だ。

森林学校をのぞむ
マラウイ中部、モザンビークと接するデッザという町の近くにある森林保護区「チョンゴニフォレストリーリザーブ」の中に住んでいた。大地溝帯にも離接しており、アフリカらしい粘土質の赤茶けた大地に標高は約1600mあり、冷涼な気候の過ごしやすい所だ。今も国は変われど高地に住んでいるし、比較的高地に縁があるのかもしれない。

その森に暮らすようになってから初めて、夜の闇が本当に暗いこと、アフリカ人が闇夜に溶け込み目と白い歯しか見えなくなること、月の光が素晴らしく明るいことを知った。

チョンゴニフォレストリーリザーブは主に針葉樹を植林した森で、野生生物・森林大学校があるだけのエリアだった。かろうじて不安定な電気や水道はあるけれどそれ以外は文字通り何もなく、食料の買い出しは隣接するムパラレビレッジで週一回、金曜日に開催される、歩いてゆっくり見て回っても数分で見尽くすことができる小さなマーケットがあるのみだった。

一番近い国道までは歩いて約2時間、一番近い町デッザまでは約15km離れていた。

自宅2 自宅1
一人暮らしには大きすぎる3LDKの平屋、学校の職員住宅の一つに住んでいて、屋根にかかるように茂っている鮮やかな紫のブーゲンビリアがとてもキレイだった。

自宅キッチン
電気は一応きているものの電圧が不安定で、停電や停電ではないけれど供給電圧の低下がしばしば起こり、電気クッカーは持っていたものの使えない日が数多くあった。

そんな時活躍したのが七輪のような炭を焚く道具やイギリス製の薪クッカーで、この写真のアンティークで素敵な薪クッカーはとても機能的で、きちんと焚くと給湯機能が働くように作られていた。でもその便利な機能も何回か使ったら、水タンクがなぜか破裂して、その機能は残念ながら使えなくなってしまった。

いぬたちと
森の家での生活の一番のお気に入り、そして一番の贅沢は、使い放題の間伐材を薪にして暖炉に火をともすことで、暖かなその火を眺めながらお酒を飲みつつ愛犬たちと過ごす、そんなゆったりと流れる時間は何ものにも代えがたい贅沢な時間だった。

高地で乾燥した気候のため夜は肌寒いのが常で、一年を通して季節を問わず暖炉を焚いていた。

暖炉の火を眺めるともなく眺めていると、遠くハイエナの特徴ある甲高い遠吠えが聞こえる。月の明るい夜にはアフリカ特有のリズムを刻む太鼓の音が風にのって聞こえてくる。村で何か祝い事でもあったのだろうか。テレビもラジオもない生活の中で、生活の喜びはどんどんシンプルになっていった。

美味しい食事を作り、本を読み、ギターを弾く、月のない夜に森の家を一歩外に出ると頭上には嘘みたいな数の星に埋もれた南十字星や天の川を見ることができた。

この時の生活体験が暖炉というか、火のある生活に憧れるきっかけになったのだろう。そして私たちは自分たちの家を建てる時に薪ストーブを導入することにこだわったのである。チョンゴニの森の家で見た星空には及ばなくても、美山の里の星空もなかなかのもので、その素晴らしい清涼な空気が縁のない土地への移住を決断させた。私たちの暮らしの原体験、森の家は今もチョンゴニの丘の麓にある。


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