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2017-04

2010年夏 キャンプその1 ~海外からの家づくり~  - 2011.09.10 Sat

夏の美山の里に訪れるのは初めてにも関わらず、夢に見た景色が変わらない姿でそこにあった。

夢見た景色_convert_20110910042326
キャンプをしてみるとその土地の自然の様子がよく分かる。土や草の匂い、風の向きや強さ、時間ごとの日照の具合、湿気などなど、時間をかけて滞在してみて初めて分かるものがたくさんあった。それでもとある短い一時期のことだけれど、家づくりのイメージを喚起するには十分だった。

1我が家2010_convert_20110910040501
そう、カイロに赴任して2年目の夏の長期休暇は日本に一時帰国した。

1草原の朝食_convert_20110910040623
ホームデザインHARATAの原田さんには、軽く、今度帰ったら自分の土地でキャンプしてみたいということは伝えてあった。その時に道具を貸してくれるというありがたい申し出があったので、連絡をとってみると、小さな子供もいるので本当にキャンプをするのかと軽く驚いたようだったけれど、快くテント、タープ、テーブル、椅子だけでなく調理道具なども含めてほぼキャンプに必要な道具を貸してもらうことが出来た。

それだけでなく、まだ近隣の公衆トイレの様子などもよく分かっていなかったので、移動式の仮設トイレも手配していただき、準備万端で6年ぶりのキャンプに望むことが出来た。

この時のキャンプの懸念事項は大きい物は2つあり、これから長くそこに住んでいきたいと考えているのに、いきなりキャンプをする一家ということで、集落に受け入れてもらえるのだろうかということとキャンプ生活で必要な生活用水の確保だ。キャンプ場ではないので、水の確保が一番の難題と思われた。

1私道_convert_20110910040538
しかし、この時は本当に良い出会いに恵まれていて、帰国直前にみほがネットで美山の里の住人のAさん一家のホームページを見つけて、知りあうことができたのだ。Aさんは親切なことに、まだ会う前だというのに、いろいろ気遣ってくださり、どうやら水の確保ができそうだということ、そして私たちが到着するまでに、近所の方に私たち一家がキャンプ生活することを話しておいていただいたおかげで、そんなに周囲の皆さんにも衝撃を与えずに済んだことはとてもありがたいことだった。

1セロリ畑_convert_20110910040422
夕方になるとセロリ畑の散水が始まり、乾いた高原の空気にも清々しい水の匂いが加わる。心落ち着く、私たち家族の好きなひと時。


2010年夏 キャンプその2 ~海外からの家づくり~  - 2011.09.11 Sun

美山の里では、滞在前からお世話になりっぱなしのAさん一家以外にもご近所さんには恵まれており、これから家を建てる私たちのために、憧れていたメーカーで建てたログハウスの家をみせていただいたり、携帯電話の充電に電源を貸していただいたり、お茶をいただくなど色々な気遣いをいただきありがたかった。

そもそも土地の購入にあたり集落のことについて調査をしていなかったのと、土地の購入時より2軒家が増えていたこともあり、どのようなご近所さんがいるのかあまり知らなかった。心強いことに、同世代の先輩居住者がおり、うみにとってはとても嬉しい年の近い女の子も近所にいて、遊んでもらうなんて、この休暇前には全く考えていなかった。

それにしても、今までイッシーは北海道でさんざんキャンプしてきたのに、美山の里は本州だし、と高原のキャンプを甘く見ていたため、うすいタオルケットだけで寝ようと試みた初日の夜は寒くて寒くて、高原の気候の厳しさを思い知らされた。

キャンプ2日目には、Aさんに寝袋を借りて、ようやく寒さを感じずに寝ることが出来るようになった。この時のキャンプはAさんなしには成立しないというくらい、世話になり、寝袋だけではなく、近くのおいしい湧き水を飲料水としていただき、偶然、期間中に開かれたパーティに飛び入りで参加させてもらった。なんという懐の深さ、憧れのライフスタイルである。おかげでキャンプ生活に彩りが生まれ、さらに色んな人とも知りあうことができて、原村に移住することに対し、不安よりも楽しみで仕方がないと思えるようになっていった。

ここ数年の私たちの生活はポートモレスビー、カイロと国は違えど一国の首都で生活しており、日本の都会とは明らかに違うけれど、都市での生活が人間中心主義で構成されていることには違いがない。そのため海外で暮らす特有の不自由以外、生活面では普段不自由は感じないけど、その実、様々な自由がなく、それは日本の都市部での生活でも同様だと感じている。

その点、美山の里のキャンプ生活では、
寒さに痛めつけられ凍える自由、
鳥や獣に食料を狙われ、隠し場所に知恵を絞る自由、
虫やかえるで遊んで楽しみ、また、場合によっては不快になる自由、
夜が真っ暗なうえに道が凸凹しており、街灯がないため、道にけつまづく自由、
遊びや楽しみも自ら行動を起こして獲得する自由、
などなど、多くの自由を享受することが出来た。

2森の散歩_convert_20110910040835
都市部とは違う生活スタイルと価値を楽しむかストレスと取るかはその人次第で、私たちも全部とはいえないけれど、概ね楽しむことが出来た。


2010年夏 キャンプその3 ~海外からの家づくり~  - 2011.09.12 Mon

すかっと晴れた高原の空気は本当に気持ちいい。未だに有鉛ガソリンを使い、整備不良車で交通機関が麻痺している大都会カイロ、その他にも色々原因はあるけど、結果的に世界でも指折りの汚染された大気状態を維持しているそんな街から来ると、本当にどんなごちそうよりも空気が美味しいと思う。

3芝生と気球_convert_20110910041818
八ヶ岳農業実践大学校の草原は本当に広くて気持ちいい。散々走り回って芝生に寝転ぶ子供たち。他にも美山の里の周辺には八ヶ岳自然文化園、まるやち湖もあり、家の周り以外にも遊び場が豊富にある。

3ひまわり_convert_20110910041718
土地を購入した2009年の10月24日、記念樹の代わりに挿したペットボトルひまわり風車が1年半以上の時を経ても無事にたっており、私たちを出迎えてくれた。

ひまわり風車のうしろの胡桃の木々は、今はもういない。

一番太い木はおそらく50年近くこの地に根付いていたのではないだろうか。場所を譲ってもらったことに感謝して、家のシンボルとなる柱や外壁の付け柱として新たな命を吹き込む予定だ。

3行ってきまーす_convert_20110910041743
テントをジジジジジィーーーーーと開けて、学校に行ってきまーすってなんかシュールな感じ。でも、行くのはそうたじゃないんですけど・・・?

3あれらんどせるはどうしたの_convert_20110910041530
この時がうみにとって初めて通う日本の小学校。体験入学を快く受け入れてくれた原小学校と、学校とつないでくれた村の教育委員会には感謝。

登校初日はクラスメイトの元気な挨拶にびっくりしていたけれど、皆優しく接してくれて、そして先生もエジプトからきたうみのためのエジプトのことを皆に話してくれたりしたおかげで、スムーズに皆の中に入ることが出来て本当に良かった。

2お遊び_convert_20110910040721
我が家のテント暮らしに触発され(?!)、本格的な可愛いティピーを持ちだしてきて遊びはじめた子供たち。カイロでは色んな理由で外で遊ぶことは多くはないので、日本に滞在中は本当に外でよく遊んだ。

3どこでも寝れる_convert_20110910041638
環境が適応する強さを作る、両親がこんなんだからか、どこでも寝れるたくましい我が子は、むしろ野外生活のほうが食欲も旺盛だし、どんどん元気になっている。


2010年夏 キャンプその4 ~海外からの家づくり~  - 2011.09.13 Tue

たった1週間ほどの滞在なのに、ずっと美山の里で暮らしていたような気になってしまうくらいくつろいでしまった。そして、ずっとここにいたいなと思った。

運べるだけの物しか持たず、数年おきに各地を転々とする暮らしも楽しいけれど、とにかく私たちはどこかに根をおろすことを考え、そしてこの場所に出会った。移動が宿命の暮らしを送る中で、ゆっくり季節が変わるように自分たちは変化し、心のうつろいを感じ、なにが大切なのかを考えそして決断をした。

土地自体は即決に近い形で決めてしまったので、これから徐々に色んな人と出会い、つながりができることで、ここが確固たる家族の居場所となることを願っている。

2みんな一緒に歩こう_convert_20110910040757
子供が生まれてからの我が家の拠点は海外だったので、休暇で日本に戻っても、子供たちは特段友達と毎日遊ぶということがなかった。美山の里では、近所に年の近い、しかも女の子がおり、うみにとっては本当に楽しい日々だったようだ。まだ学齢期ではないので、学校にも行かず、午前中を暇に過ごしていたそうたはうみが帰ってくると大喜びで、子分のようについて回った。


2朝食_convert_20110910040908
今滞在中の我が家はなんちゃってキャンプ生活だったので、飯盒炊飯など硬派なキャンプ料理は作らず、食事はもっぱらAコープで買ってきた白飯やお惣菜などがメインだった。

衛生上の問題で生卵を食べることのできないカイロから戻った私たちには、八ヶ岳実践農業大学から買ってきた新鮮な卵を、ご飯にかけてしょうゆを垂らすだけの「たまごごはん」が何よりのごちそうで、みんな飽くことなくよく食べた。

3プラン作り_convert_20110
木陰は天才だ。胡桃の木々のが日陰を作ってくれるので、木陰の移動に合わせて、テーブルを移動させて日差しを凌いだ。空気が乾燥しているため、日陰はとても涼しくて、高原の風がほほをなでて木々を渡るのがとても気持ちよかった。

だから、キャンプ中の我が家のリビングは木陰の中に決まり、木陰で食事をとり、木陰で家のプランをを練った。

3キャンプ撤収_convert_20110910041606
ツーリングキャンプを好んでしていたいっしー、そしてそれ用のテントは見たことのあったみほが、テントを貸していただける、ときいて想像していたテントは、もっと小型の、4人が横になればいっぱいになるようなテントだった。

ホームデザインHARATAの原田さんがキャンプ道具やテントの下に敷く大きな板を積んだピックアップで現れた時にはびっくりした。でも、そのおかげで本当に快適なキャンプ生活だった。


3集合写真_convert_20110910041853
早くも愛着がわき、離れがたくなってしまった我が家の土地ともしばらくお別れ、家族で記念撮影。


2010年夏 番外編 - 2011.09.14 Wed

2010年の夏の休暇は、家づくり以外の予定も盛りだくさん、あっという間に過ぎていきました。
カイロから日本へ着いてすぐに、うみとそうたは生れて初めてのディズニーリゾートに行きました。しかもいっしー母からの「うみちゃんの入学祝い」だということで、ディズニーランドの目の前にあるホテルに一泊というおまけつき!!

3-1ティータイム_convert_20110910041000
ディズニーランドホテルのピーターパンルームでパパとお茶をたのしむうみ。うみの誕生月だったので、ケーキをお部屋に届けてもらったら、運んできたお姉さんが、お祝いのカードと風船で作った犬をプレゼントしてくれました。パーク内ではうみのドレスに貼られた誕生日ステッカーに気づいたキャストのおにいさんおねえさんからおめでとうの言葉をかけてもらっていました。心が荒みがちだったカイロの生活から考えると、作られた空間とはいえ、その配慮、ゲストの快適性を追求する姿勢にはとても感動しました。


3-1しちご_convert_20110910040933
七五三を一度もやっていなかったうみ。写真屋さんで写真を撮ってもらうことにしました。着物に化粧でうれし恥ずかし。そうたも一緒に着物を着せてもらいました。


3-1チョキチョキ_convert_20110912022315
我が家が帰国すると、毎回「遊びにおいで~」と声をかけてくださる、かつてD温泉に住んでいたころにお世話になっていた大家さんのお宅で、散髪をしてもらうそうた。経験のない剃刀に、くすぐった~い。

3-1水遊び_convert_20110912022527
大家さんのお仕事がお休みの日に、一緒に遊びに出かけた時は晴天に恵まれ、恵まれすぎてあまりの暑さに、水もお湯になってました。でも、気持ちい~。

3-1海辺のレストラン_convert_20110912022356
スケジュールが詰まっていて、どうかな?と思っていたけれど、みほの実家のある北九州にもちょっと行きました。海沿いに立つ宿で一泊。このあとお子様ランチが出てきて、大興奮でした。

3-1宗一郎と散歩_convert_20110910041047
日本でのいっしー母宅に滞在中は、宗一郎くんとの散歩がとっても楽しみ、年をとってすっかり穏やかになった宗一郎くんと川沿いの土手をゆっくり歩くのが日課でした。

3-1帰国_convert_20110912022429
我が家が飛行機で移動するときはいつもこんな感じの大荷物です。そうたは荷物に埋もれてるし、そもそも荷物なんて持つ気がないので、こういう時は全く役に立ちません。子供2人連れで運べる限界を超えていますが、うみは貴重な戦力として大活躍してくれます。もてるだけの日本のお菓子、食材を抱えてカイロに戻りました。次の日本への帰国予定は、一年後のやはり夏。それまでのカイロでの生活が少しでも潤ったものになるように、の努力です。


退避一時帰国 その1 - 2011.09.27 Tue

通常一時帰国というのは嬉しいものだが、退避での帰国となるとせっかく日本にいるのになんだか落ち着かない。退避一時帰国の場合は、いつまで日本にいることになるのか、本当に任国に帰れるのか誰にも分からないし、なにより想定外の時期に契約が切れるリスクがあるためシャレにならない。

まず日本に着いた後、ボー然としてしまうのは住むところもそうだけど、うみは学齢期なので、普段ブリティッシュスクールに通い、日本の教育を受けていないうみを気持ちよく受け入れてくれる学校、自治体探しが最大の優先事項となった。いつ出国になるのか、長くとどまることになるのか分からない、この不確定な状況でも受け入れてくれる自治体があるのかそこから探し始めた。

とりあえずは一家4人でイッシーの実家にお世話になり、受け入れてくれる自治体を探し、その後滞在先としてアパートもしくは民宿などを探すことにした。

何も決まってない状況ではあるけれど、とりあえずはイッシーの実家のある取手市に転入の手続きを取った。学齢児がいることを告げると、もう一方の庁舎にある教育委員会に連絡を取るように指示された。あくまで噂だけどイッシーが通っていた小学校は廃校になることが決まっているようだし、私たちとしては、将来の移住先であり、体験入学もして先生もクラスメイトも知っている原小学校に通えるといいのではないか、と考えていた。

うみ自身が体調を崩してもいたので、この段階では具体的な話にはならなかった。ただ、担当の方は、出来るだけ早めにどうするか決定して、連絡をくださいという返事だった。

住む場所が確保できるなら、原小学校で、と思っていた私たちは、シーズンオフでもあるし貸別荘あたりならいけるのではないか、という感触を得て、原村の教育委員会に電話をかけた。こちらの事情を説明して、原小学校に通わせたいのだが…と伝えると、明らかに嫌そうな感じで、書類の手続きとか、いろいろ大変ですし、今住民票がある取手市で通われたらどうですか、といわれた。将来通う学校であること、体験入学をしたことなども伝えたが、返事はあまり変わらなかった。

以前、カイロに立つ前に原村を訪れたとき、夏の一時帰国などで体験入学をさせたいことを原村の教育委員会に相談したことがあった。この時の担当の方はとても柔軟に、そして親身にアドバイスしてくれて、実際に体験入学させる時にはその方は移動された後になってしまっていたけれど、きちんと申し送りをしてくれてたおかげで、安心してうみを体験入学させることができた。

その時とあまりにも違う窓口担当者の対応は少なからずショックだった。行政機関は一定のルールがあり、ある意味杓子定規な対応でないと平等性が保てないという性質の仕事であることは理解できるが、行政サービスの実施者として今回の対応はいかがなものかと感じた。書類を準備するのは私たちの義務だろうし、処理するのは担当者の仕事だ。面倒くさそうに大変ですという表現は不要だと思う。行政機関も人が運営するしかないのだから、多少は人と人とのつながりを考えて、結果として受けれるつもりがなくとも判断は相手に任せるような対応が出来ないものかと感じた。

今回当たった担当者もいずれ移動で別の部署にいくのだろうし、嫌がられても粘り、ねじ込むという方法はあったかもしれない。でもこれから長くそこで生活していくつもりの私たちにとって、退避という予定外に発生した状況の対処のために村の行政官と揉めて、今後の移住生活に禍根を残すことは本意ではないので、原村に滞在することは断念した。

さて、原小学校に通える見込みがなくなり、うみ自身に改めてどこに、どんなところに通いたいかと聞いたところ、こじんまりした学校、という答えが返ってきた。

それならうみが幼いころ過ごしたD温泉にあるA小学校などはもってこいの場所だけど…と、昔なじみのD温泉の大家さん(通称=おじちゃん)に電話をかけた。運のいいことに昔住んでいた家は、都合のよいことに家具も当時のままちょうど空いていた。可能なら明日から住みたい、という、一刻もはやくうみを学校に入れてやりたい私たちの大変身勝手な申し出に、おじちゃんは迷いもなく、いいですよ、と言ってくれた。

なので、私たちは本当に電話をかけた次の日、着替えなどの最小限のものを持って、みほとうみは電車を使ってD温泉に移動した。D温泉は町から離れた温泉街のため車がなくては生活が難しいので、イッシーとそうたは、冬のD温泉の道に対応するため、スタッドレスタイヤに履き替え、5日後にみほたちと合流した。みほたちは移動したその日に市役所に行き、転入の手続きを取り、教育委員会に行くと、こちらの事情を聞いたうえで、特に待たされることもなく、しかも、「今日これから学校にお話を聞きに行かれますか?」と言われ、学校に連絡を入れてくれた。

なつかしい平屋の一軒家(借家)に着き、荷物を置いて小学校に出向くと、校長先生や教頭先生が待ってくださっていてお話を聞いてもらうことができた。 そして、通いたい、と言ってくださるのであれば、どうぞ通ってくださいと、本当に快く引き受けてくださった。3学期という学年の集大成を行う忙しい時期に、日本の教育を受けていない、しかもいつまでいられるかわかんないなんていう子供を受け入れるのは仕事が増えるだけで望ましくないのは誰にとっても同様だと思う。騒乱からの退避で心身が消耗していた上に、原村の教育委員会の対応があった後だっただけに、その暖かい対応はありがたくて本当に感謝の気持ちで一杯になった。

旧知の地域の私たちへの暖かい手助けは、実は私たちが電話をかけたその日の夕方からはじまっていた。突然の申し出にもかかわらず、おじちゃんは小学校に出向き、校長先生に私たちのことを伝え、どうか引き受けてくださいとお願いしていてくれていたそうだ。人との出会いは縁だというけれど、本当に良い縁に恵まれていると思った。

こうしてうみはD温泉に移動した次の日にはA小学校の1年生の6人目のクラスメイトになることができた。

日本の教育は受けていないといっても、カイロのブリティッシュスクールではすでに2年生に進級しているため、国語、特に漢字以外の勉強に不安はなかった。面白い先生と明るいクラスメイトのおかげでうみはすぐにクラスに馴染むことが出来たようだった。なんと初日から、本当に楽しい時間を過ごすことが出来ていたようだ。そもそも学校全体の人数が少ないため学年を跨いで知り合いが出来て、なんとも楽しそうだったのでほっとした。騒乱のカイロから離れ、ようやく生活基盤が出来て腰を落ち着けることが出来た。


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Author:issy-family
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